古代、狩猟のために野山を駆け巡っていた男たちが、余暇活動として技を競ったのがスポーツの始まりで、やがてそれらが競走やレスリングに発展したと考えられています。

そして紀元前9世紀ごろ、古代ギリシャではゼウス神をはじめとするオリンポスの神々に捧げる宗教行事として「オリンピア採点競技」を開催。これが、古代オリンピックの起源だと言われています。

1169年間続いた古代オリンピック

古代オリンピックで実施された競技は、記録として残っている最初の第1回大会(紀元前776年)から第13回大会(紀元前728年)まで、広場の周りを走る「競走」だけでした。その後徐々に競技が増え、短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングを一人の選手が行う5種競技「ペンタスロン」や「レスリング」「ボクシング」「戦車競走」などが行われるようになりました。また体を動かす競技だけでなく、芸術的競技もあったそうです。

長い間続いたオリンピックでしたが、紀元前146年にギリシャがローマに征服されると、ギリシャ人以外の人々も競技に参加するようになり、またキリスト教が国教のローマはオリンピア信仰を禁止します。こうして宗教行事として成立しなくなった古代オリンピックは、393年に行われた第293回が最後の大会となりました。

統一ルールが制定され世界的に広まる

宗教的要素が無くなったスポーツは、やがて富裕層の「遊び」として広まります。それに伴い、ルールも作られるようになりました。

フットボール(サッカー)を例に挙げてみます。中世のイングランドではボールを蹴りながら運ぶ遊び「モブ・フットボール」が行われていました。やがて19世紀になり、上流貴族の教育として、パブリックスクールがフットボールを導入。しかし統一されたルールがなく、試合が成立しませんでした。そこで1848年にケンブリッジ大学で「ケンブリッジ・ルール」が作られ、また1863年に国内競技連盟「フットボールアソシエーション」が組織されると、統一された規約やルールの元に行われる、現在のサッカーが誕生しました。

その後、陸上競技や水泳、ラグビー、ボクシングなど次々にスポーツ組織が作られるようになり、こうして近代スポーツが確立したのです。

クーベルタン男爵によって復活した近代オリンピック

1863年のフランス・パリに生まれたクーベルタン男爵は、イギリスのパブリックスクールを訪問した際、スポーツが教育において重要な役割を果たしていることを知りました。その後、古代のオリンピックを復活させる構想を発表すると、1896年に第1回近代オリンピックをアテネで開催。陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの8競技43種目が実施され、参加したのは欧米の14ヶ国。最も多く優勝をおさめたのはアメリカでした。

アテネ大会は古代ギリシャ同様に男子のみの参加でしたが、第2回のパリ大会からは女子選手も参加。ただし、選手1066人のうち女性はわずか12名で、種目はゴルフとテニスの2つのみだったと言われています。

日本が初めてオリンピックに参加したのは、1912年に開催された第5回ストックホルム大会です。講道館柔道の創始者・嘉納治五郎がアジア初のIOC委員に就任し、陸上短距離の三島弥彦、マラソンの金栗四三の2名が出場。しかし結果は残せず、世界との違いを見せつけられることとなり、日本スポーツ界の水準向上という大きな課題が生まれました。

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