著者
平尾昌宏(ひらお まさひろ)
1965年、滋賀県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門は哲学、倫理学。立命館大学、佛教大学、大阪産業大学、追手門学院大学などで非常勤講師を務めるかたわら、現在は邦訳スピノザ全集の計画に携わっている。著書に『哲学、する?』『愛とか正義とか』『哲学するための哲学入門』(いずれも萌書房)、『ふだんづかいの倫理学』(晶文社)。
【要点1】
「人生はゲームなのか?」という問いは、「人それぞれ」で終わらせるわけにはいかない。本当かどうかわからない、ふわふわしたものに振り回されるのは困るからだ。
【要点2】
「ゲームとは何か?」を考えると「人生はゲームではない」という結論になる。この結論に抱くモヤモヤを突き詰めていくと、より厳密な「ゲーム」と「人生」の要件がわかってくる。
【要点3】
人生のルールはどれも揺れ動いており、ゲームのルールのようにハッキリとしていない。これが、「人生は非常に掴まえづらい」理由である。
レビュー
人生には楽しいことも苦しいこともある。楽しいと思っていたことが苦しくなったり、苦しいと思っていたことが楽しくなったりするのもよくある話だ。多くの人は、苦しいことばかりが続くと「なぜ私の人生には楽しいことが起こらないんだろう?」とあらゆることを試す。それでもうまくいかないと「私は人生というゲームの敗者だ」と落ち込んでは開き直って、自暴自棄な行動に出たりもする。
しかし、そもそも人生とはゲームなのだろうか? もしゲームだとしたら勝ち負けや、「あがり」とは何なのだろうか?
本書で著者は、「ゲーム」という、わかっているようで曖昧な概念を出発点に「哲学」する。それは高名な哲学者の思考をなぞることでも、抽象的な理論を組み立てることでもない。「人生」「料理」「宗教」「恋愛」とさまざまなものを「ゲームか?」と問うことで、ゲームという概念をどんどんクリアにしていく。その結果から、「さて、人生とはどのようなものか」を考えていく。
結論を言ってしまえば、「人生はゲームではない」。しかしこの結論にさしたる意味はない。なぜゲームではないのか、その理由が大事だ。
ゲームでないなら人生とは「何である」のか、あるいは「何ではない」のか。そのような疑問にひとつひとつ向き合うことこそ、「哲学する」ということであり、自分だけの人生を生き抜くための一歩である。この本は、それをともに歩んでくれる一冊だ。
平尾昌宏(ひらお まさひろ)
1965年、滋賀県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門は哲学、倫理学。立命館大学、佛教大学、大阪産業大学、追手門学院大学などで非常勤講師を務めるかたわら、現在は邦訳スピノザ全集の計画に携わっている。著書に『哲学、する?』『愛とか正義とか』『哲学するための哲学入門』(いずれも萌書房)、『ふだんづかいの倫理学』(晶文社)。
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